2010年9月14日火曜日

『セブン』(1995,アメリカ)

 怠惰、大食、強欲、憤怒、嫉妬、高慢、肉欲 。
 7つの大罪をモチーフとした猟奇殺人が繰り返され、定年を控えた刑事サマーセットと新米のミルズが犯人を追う。 ミルズは熱く、サマーセットは冷静に。刑事物に付き物のスリルとサスペンス。息を呑む展開・・・ 。しかし、本作品が扱う真のテーマはそこにはない。
 なぜなら、刑事達ではなく犯人ジョン・ドーこそが、断罪する者すなわち神に代わる死刑執行人であるからだ。殺される人々は、ただそれぞれに日常を生きているにすぎない。だが、その日常こそがジョン・ドーにとっては裁きの対象なのだ。

 自らの美しさに溺れる女性。大食漢。金と地位を求める弁護士・・・。ジョン・ドーはこれらの人々を罪人だと断じ、罰を下していく。だが、そうした人々を裁くジョン・ドー自身もまた全ての人々と同じく罪人なのだ。彼自身も自分の罪を認め死んでいく。

 だが、だとしたら、罪を犯さずして生きることなど可能なのだろうか? 作品を観るにつれ、「正義」の観念は揺らぎ始め、 生自体への疑問すら湧いてこざるを得ない。

 それでも、ラストにサマーセットが残す言葉は、暗雲立ち込める中に差す一筋の光のように、道を照らし出し希望を与えてくれる。 「人生は素晴らしい。闘うだけの価値がある」

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