2010年12月24日金曜日

『星の王子さま』/ サン=テグジュペリ (1943)

人は「出会い」を通じ、成長する。
様々な経験を共にし、芽生える共通の価値観は、
目視できぬ掛け替えのない絆として両者を結ぶ。

人は「別れ」を通じて、成長する。
それは互いを引き離す経験であるにも関わらず、 
まるで身体中を脈打つ不随意の筋肉のように、
いつまでも、その人間の一部として生き続ける。

This is the Story of the people , for the people , by the people .
人と人が共に生きる-その素晴らしさこそ愛なのだろう。

2010年11月30日火曜日

狂った太陽 / BUCK-TICK (1991)


 モラルハザードや退廃のなかに価値を見出そうとしてきた芸術家達の営み。
 BTの音楽は、その同一線上に、人間が持つ暗黒面を描こうとする。
 それは規律や規制に対する精神的な反抗であると同時に、美の多様なあり方への礼賛である。
 光差すことのない暗黒の世界は、色褪せない。
 
 

一触即発 / 四人囃子 (1974)


 キングクリムゾンやイエス、ピンクフロイド、EL&Pなどが活躍したプログレッシブロックの最盛期において、日本国内でそれらの音楽に比肩するバンドがあった。それが四人囃子である。
 無意味な言葉の羅列と展開の激しい曲構成でありながら、四人囃子の音楽が不思議な心地良さを持っているのは、それが波に漂ようときに感じる「揺れ」と似ているからであろう。
 

新創世記 / GODIEGO (1976)

 日本を拠点として活動してはいるが、実質的な多国籍バンドであり、豊かな音楽的バックボーンに裏付けられた楽曲と堪能に歌い上げられる英語詞が、彼らの音楽を特徴づけている。
 ポップミュージックの代表格として見なされがちなバンドであるが、そのファーストアルバムは独創性と実験性に溢れており、むしろそうした底力こそが、多くの人に聴かれるポップスを作り上げることが出来た秘訣だったことを教えられる。

2010年11月14日日曜日

想 / INORAN (1997)

 いわゆるヴィジュアル系バンドの筆頭格LUNA SEA—このロックバンドのギタリストであるINORANが、このようなアンビエントな作品を世に出そうとは夢想だにしなかった。そのソロワークにおいては、バンドのなかで表現されていた彼の世界が純化し、多彩な表現で奏でられている。
 時代の先端を走っていた彼のミュージシャンは、他のメンバーが華々しくソロ活動を展開する中でも、独自に深く音楽を探究していたのだろう。そんなスタイルが、また彼らしい。
 ブームの背後に揺るぎない音楽的基盤が存在していたことを思わせるアルバム。

2010年10月27日水曜日

マトリックス(アメリカ,1999)

これまで生きてきた世界が虚構だったと知り、絶望を経験したとしても、疑うことを経て、初めて自らの信念は確固たるものになる。

「俺は死んだのか?」 
「いや、新たな誕生だ」

信念に基づいた鍛錬は、何者にも支配されることなく、自らの意志と力で運命を切り拓いていく力を授ける。

「全て捨てろ、恐怖、疑心、不信」
「心を解き放て」

人間の持つ無限の可能性。
世界に与えられた形があるのではなく、その力が新しい世界を創りだしていく。

「入り口までは案内する。だが、ドアは自分で開けろ」

2010年10月26日火曜日

ベニスに死す(イタリア,1971)


 ルキノ・ヴィスコンティによるトーマス・マンの映画化。
 芸術を追求する男が、疫病に冒され死していく過程に、世俗の慣習を超越した審美を見出していく。
 退廃的でありながらも崇高な美の物語を、マーラーの交響曲第5番(第4楽章 ≪アダージェット≫)がこの上なく見事に際立たせる。

2010年10月25日月曜日

『光りあるうち光の中を歩め』/ トルストイ(1890)


 それでユリウスは安心した。兄弟たちのために全力を傾注して労苦して生活を続けた。こうして彼は、喜びの内になお20年生き延びた。そして肉体の死が訪れたのもしらなかった。

『父と子』/ ツルゲーネフ(1862)


 ••••••はたして彼らの祈りが、彼らの涙がむだであろうか? おお、それはちがう! どんなはげしい、罪ぶかい、反逆の魂が墓の下にかくれていようと、その上に咲いた花はその清らかな目でおだやかにわたしたちを見つめている。その花は永遠の平安だけを、《冷静な》自然のあの偉大な平安だけを、わたしたちに語りかけているのではない。さらにまた、永遠の和解と、無限の生活についても語っているのである••••••

『ライ麦畑でつかまえて』/ J・D・サリンジャー(1951)

「何よりもまず,君は,人間の行為に困惑し,驚愕し,はげしい嫌悪さえ感じたのは,君が最初ではないということを知るだろう。その点では君は決して孤独じゃない,それを知って君は感動し,鼓舞されると思うんだ。今の君とちょうど同じように,道徳的な,また精神的な悩みに苦しんだ人間はいっぱいいたんだから。幸いなことに,その中の何人かが、自分の悩みの記録を残してくれた。君はそこから学ぶことができる―君がもしその気になればだけど。そして,もし君に他に与える何かがあるならば,将来,それとちょうど同じように,今度はほかの 誰かが,君から何かを学ぶだろう,これは美しい相互援助というものじゃないか。こいつは教育じゃない。歴史だよ。詩だよ」

『赤と黒』/スタンダール(1830)


「世俗の虚栄の影響だな。にこやかな顔に慣れきっているようだが、それこそは嘘偽りのお芝居。真実は、厳しいものですぞ。だが、われわれの現世での務めもまた、厳しいものではないかな。うわべだけのむなしい魅力にあまり敏感すぎる。そんな弱さを、警戒してかからねばなるまい」

劇場版 新世紀エヴァンゲリオン DEATH (TRUE)² / Air / まごころを、君に (1998)


別個の存在であるからこそ、求め合い、一つになろうとする。

孤独な存在であるからこそ、理解してもらいたいと思い、理解したいと思う。

それは人間に課せられた永遠なる業にして、美しさと力強さの源でもある。

シザーハンズ(アメリカ,1990)


 摩訶不思議な世界のなかで描き出される物語が、昔から語り継がれてきた童話を彷彿とさせるのは、それがどこか現実に存在する残酷さを孕んでいるからであり、必ずしもハッピーエンドに終わらない物語の展開は、作品の印象を一層強くさせることに成功している。
 ジョニー・デップとティム・バートンがはじめて手を組んで制作されたファンタジー映画。二人の魅力が遺憾なく発揮され、異彩を放つ演技と幻想的な映像が、儚くも耽美な世界を創りあげる。
 

2010年10月24日日曜日

かもめ食堂(日本,2006)


 彼女たちはなぜフィンランドにいるのか。そして、なぜその食堂で働いているのか。
 そうした観客の興味には一切応えることなく、この物語は進行する。
 ただ必要なのは、目の前に存在している事実に向き合い、ひとつひとつ対処していくこと。
 独特のスロウな空気感は、自然と肩の力を抜かせてくれ、観終えたときには、不思議と前向きな気持ちが湧いてくる。

ソナチネ(日本,1993)

ヴァイオレントな表現と暖かく美しい情景。
張りつめた緊張感と気の抜けるユーモア。
両極端にある要素が対立しながらも調和しており、独特の印象強さを生む。

物語のオリジナリティもさることながら、存分に用いられる「キタノブルー」と称される映像表現は、観る者を虜にして離さない。

シナリオと映像、そして久石譲の音楽。
北野武の世界観を堪能できる作品。

バグダッド・カフェ(西ドイツ,1987)


 様々な人々の人生が交差するこの世の中では、ときにその糸が絡み合い、複雑に拗れてしまうこともある。
 しかし、その結び目に立ち返り、じっくりと困難に取り組むことができれば、長い時間を要しはするが、拗れた物事を解決させる糸口が見つかるかも知れない。
 どこに存在するかわからない幻のカフェで繰り広げられる、縺れた糸が解き解かれていくドラマ。客の一人として訪れてみるのも悪くない。

グラントリノ(2008,アメリカ)


田舎の保守的な頑固親父?
人間そんな簡単には切り取れない。
様々な苦難を経験したからこそ生まれる深みと意地。
男の一生は、最期の一瞬で決まる。

真夜中のカーボーイ(アメリカ,1969)


 一攫千金を狙い、テキサスからニューヨークを訪れたハスラーと、裏街道を這いずり回るドブネズミの物語。
 悲しいかな、二人の友情は力強いものではなく、孤独故に慰め合う類のそれであった。
 都市の暗部。アメリカンドリームは無惨にも打ち破られる。

イージー・ライダー(アメリカ,1969)


 広大な大地を駆け巡る2台のハーレー。
 しかし、旅の中、風を切る爽快感とは裏腹に、男たちは自由を束縛する社会的制約を味わうことになる。
 アメリカン・ニューシネマで暴かれた個人の自由を制圧する自由の国。
 ラストシーンの弾丸はあまりにも衝撃的。

2010年10月22日金曜日

バッハ G線上のアリア

 映画「セブン」のなかで、サマーセットが図書館を訪れる際、館内に響き渡る曲がバッハの「G線上のアリア」であった。

 初めてこの曲を聴いたとき、ストリングスの奏でる甘美なメロディに酔いしれ、身体全体にその響きを感じた。

 クラシックに興味を持ち、聴き進めていく契機となった作品。

2010年10月21日木曜日

ショパン 24の前奏曲集


 ショパンのピアノが好きだ。

 ひとつの楽器のみを用いて、こんなに多彩で奥深い表現が出来るということを、本当に偉大なことだと思う。

 音楽制作に一定のルールがあるにせよ、そうした既成観念を飛び越え、ショパンの指は自由なダンサーのように、無限の可能性に満ちた鍵盤という舞台を思うがまま舞う。

チャイコフスキー 1812年

 
 チャイコフスキーの曲には魅せられるものが多いが、血湧き肉踊るほどの興奮を味わったのは、『1812年』が初めてだった。
 ナポレオンのロシア遠征を撃破したロシア軍をモチーフとして作曲されたもので、チャイコフスキー本人の中での評価はあまり高くないとされるが、それでも、「大序曲」、「荘厳序曲」の冠に相応しく、そのオーケストラは勇壮で迫力に満ちている。

マーラー 交響曲9番

 数あるクラシックの名曲のなかで、いわゆるハイライトとされる部分については、現代でも多くの人が耳にしたことがあるかと思う。ただ、ほとんどの人にとっては気軽に聴ける音楽とは位置づけられていないのが現状ではないか。 
 かくゆう私も、クラシックをきちんと聴き始めてから、まだ日が浅いのであるが、これだけ壮大な音楽が永い時代を経ても生き続けているのは、その音楽に作曲家の人生が色濃く反映されているからであり、その魂が宿っているからなのだと思う。
 マーラーの交響曲9番がそれを教えてくれた。

2010年10月20日水曜日

hide SINGLES~Junk Story / hide (2002)

「Rockをズタズタに切り裂いたりはするけど、 絶対に足を向けて寝れない。 子供の頃にRockを聞いて自分の中の壁がバラバラって崩れた瞬間を知ってるからね。 その子だけは裏切れない

 ロックスターHIDEが遺した軌跡の結晶。『HIDE YOUR FACE』,『PSYENCE』,『Ja,Zoo』の三期の音楽が見事一枚に集約されており、複数年に股がるソロ活動の成果を聴き通したとき、その先進性と普遍性がとてつもないものであったことを改めて認識させられる。シングル中心の構成であるが、生前の未発表曲「in motion」,「junk story」が収録されているのも貴重だ。

 きらびやかなステージの裏にあるアーティストとしての苦悩。ポップなメロディーにのせられた内省的な歌詞。表面的なものではなく、何よりも彼の真摯な生き方こそが、多くのファンに共感を覚えさせたのだろう。かつてYOSHIKIが言ったように、いま多くのファンもその言葉を胸に生きている。「HIDEと出会っていなければ、今の俺はあり得ない」「今まで本当にありがとう。そしてこれからも、俺が、俺たちがHIDEを愛する気持ちは変わらない」。

2010年10月17日日曜日

スワロウテイル(日本,1996)


 東洋の奇跡といわれた高度経済成長期を経て、
 グローバリゼーションとバブルの崩壊が訪れた90年代初頭。
 
 時代の転換期の混沌のなかでも、人は逞しく生き抜いていく。

ターミネーター2(アメリカ,1991)


世紀末。核兵器の恐怖と殺人マシーンの暴走が、人類の生存を脅かす。
本作で描かれる世界は、文明を弄ぶ人類に対する警告であり、技術を操る者が理性と感性を兼ね備えねばならないということを指し示している。
しからば、人にとって技術が授けてくれる恩恵は絶大なものであり、操る/操られるという関係を超え、機械は人間の延長たる存在となりうる。

ロッキー・ザ・ファイナル(アメリカ,2006)


「不滅の王者は最後の一試合を戦う力を残している」

ランボー(アメリカ,1982)


戦争は終わった、だが、戦いは終わっていない。

生きる(日本,1952)


黒沢明が描き出す人間の強さと弱さ、醜さと美しさ。
人が経験する失意と熱意、混乱と信念、それらが見事に圧縮されている。
人生に真正面から向き合うとはどういうことなのか。
それを素朴でありながらも、ドラマティックに表現した作品。

2010年10月16日土曜日

The Last Live / X JAPAN (2001)

「伝説」という言葉が存在する。遥か彼方に存在した偉大なる人々の逸話。語り継がれてきたその歴史は、もう二度と再現されないが故、壮大なイメージを現出し、後世にも大いなる影響を及ぼす。
 この「伝説」という言葉が、現代の音楽史上に当てはまるとしたら、それはまさしくX JAPANそのものに対してであろう。クラシック/ブルース/ヘヴィメタル/パンク/サイケ/プログレ/インダストリアル•••。幾多のジャンルをクロスオーバーし、そして音楽だけではなく、ヴィジュアルを含めた五感全てに訴えかける芸術を表現したのが、XというバンドのXたる所以である。

 1996年。HIDEが言ったように、Xが「年末に東京ドームで演るだけのバンド」になっていたのは否めない事実だ。様々なトラブルを抱え、うまく前に進めなくなった状態が長く続いていた。その重さは表に出てきているものだけを見聞きしていても、察して余りある。
 だが、様々なトラブルや打算、そんなことは抜きにして、彼らはそもそもミュージシャンであり、アーティストであり、苦楽を共にし夢を分かち合ってきたロックバンドなのだ。そのX JAPANの根源を、このラストライブでは改めて感じることができる。挫折や失敗も含めて全てが魅力的で、感動的なのである。
 今でこそ言えるが、Xの解散後、長い間このアルバムを聴くことが出来なかった。だが、「伝説」が再び蘇ったいま、もういちどあの瞬間を分かち合うことは、必ずや苦難を乗り越え夢を掴むための糧となろう。 
 そして、X JAPANは更なる「伝説」を創り、その物語は永遠に語り継がれていく。

( ) / Sigur Ros (2002)


 このアルバムに収録されている曲には、一つとして曲目が与えられていない。それはアルバムを手にしてまず思い至る疑問だろう。
 しかし、作品を聴き通していくにつれて、そうした疑問は自ずと消失していく。なぜなら、ここには、言葉で表現できないものが詰め込まれているからだ。
 オーディエンスは自由に想像し、鑑賞すればよい。それが、Sigur Rosの音楽の魅力なのだから。

Those Who Tell the Truth Shall Die, Those Who Tell the Truth Shall Live Forever / Explosions in the Sky (2001)


 交響曲の様に壮大な展開をもつアルバム。
 無音に近い凪のような静けさがあったかと思いきや、大地を轟かす雷鳴のような激しさが襲ってくる。
 謎めいたアートワークとバンド名にも惹かれる。

Standards / Tortoise (2001)


 古典ばかりを聴き漁っていた時期に、ポストロックという音楽が存在していることを知らせてくれた作品。
 Tortoiseは、シカゴ音響派の代表格ともいえるバンドだが、彼らの奏でる心地良いリズム感と音の広がりには、まさしく音響という言葉が相応しい。

『月と六ペンス』/ サマーセット・モーム(1919)


ゴーギャンがみた南国の世界。
サマーセット・モームの筆致は読者の想像力を喚起し、そこに漂う独特のリズムを再現させる。

2010年10月1日金曜日

motion picture soundtrack / nido (2005)


 シンプルなビートとメロディでありながら、全体の構成は非常に独創的な複雑さを持ち、繊細であるにも関わらず、図太く重厚なアンサンブルが創りだされている。

 ポピュラリティを排し、心の深い部分を振動させるサウンドパフォーマンス。それは、熱い血の滾るDragon Ashの底流にあるkjの鼓動なのだろう。

陽のあたる教室 (アメリカ,1995)

 とある音楽教師の一代記。彼の人生は音楽とともにあった。
 作曲家を志しながらも、理想の音を表現できない苦悩。うまくいかない仕事、生徒や同僚、家族との確執。
 だが、人生が思い通りに進まないということは、捉えかえせば、人生に偶然の出会いや軌跡が存在するということなのであり、運命のいたずらが働くそのとき、その歯車を自らの力でまわすことが出来るか否かが問われるのである。
 はじめてこの映画を見たのは、中学生のとき、紹介してくれたのは、音楽の先生だった。

Stand by Me (アメリカ,1986)

  閉じ込められた町を飛び出し、見知らぬ世界に挑戦しようと旅立ったあの夏。それぞれが自分を乗り越えるために。
 誰もが葛藤を抱え、苦しみのなかにあった少年時代。それでも、見返りなど求めず互いを支え合った友がいたから、前に進むことができた。

"I never had any friends later on, like the ones I had when I was twelve… Jesus, does anyone?"

 大人になっても消え去らない思い出。 彼らは今どこで何をしているんだろう。

野いちご (スウェーデン,1957)


 巡礼の旅の果て、老人は安らぎを得る。

2010年9月29日水曜日

『世界は密室でできている』/ 舞城王太郎(2001) 


 純文学界の風雲児。
 ライトノベルを蹴散らせ!

『海辺のカフカ』/ 村上春樹(2002) 


 最初に読んだ村上作品は『ノルウェイの森』だったが、そのときの感想は、悲壮な物語には敗北の雰囲気が漂っており、ペシミスティックな世界観には辟易という言葉しか当てはまらないというものだった。
 それゆえ、彼の著作を忌避した一時期があったが、なるほど、確かに時代の風潮を鋭く捉え、多くの人の共感しうる普遍的世界観を構築していることは認めざるを得ない。
 

『キッチン/ムーンライトシャドウ』/ 吉本ばなな(1989)


この物語が呼び起こす不思議な感覚。
それは、大切な人を失ったあの喪失感か、
それとも、二度と逢えないはずの人と再会を果たすときに覚える悦びか。
心の襞を震わす物語。涙の海に人魚が消えていく。

『壁』/ 安部公房(1951) 


破綻していながら調和を保った世界。
それは混沌とした現実社会そのものである。

『斜陽』/ 太宰治(1947)


 小説を読んで嘔吐感を覚えたことなどなかった。『斜陽』を手にするまでは。
 目を背けたくなるような醜き人間の姿。生暖かいこの温室が偽りの桃源郷でしかないと突きつけられた瞬間だった。   
 だが、闇の部分を徹底して描くその眼差しがあってこそ、『走れメロス』のように、人間の素晴らしさを記述することが出来るのだろう。そうであると信じている。

『三つの宝』/ 芥川竜之介(1922)

芥川の作品は全部読んだ。
寓話めいた話が多い彼の作品の中でも、この『三つの宝』ほど、彼が追い求めていた理想が究極に詰め込まれた作品はないだろう。

「我我はもう目がさめた以上、御伽噺の中の国には、住んでゐる訣には行きません。我我の前には霧の奥から、もつと広い世界が浮んで来ます。我我はこの薔薇と噴水との世界から、一しよにその世界へ出て行きませう。」

『舞姫』/ 森鴎外(1890) 


近代社会の成立は、私たちに自由と責任を天秤にかける運命を課した。
人生における苦悩、本先品には鴎外が味わったその煩悶が描かれている。
時代の最先端を生きた鴎外の感性は、最期に「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス 」と残した。

『こころ』/夏目漱石(1914)


この小説に、これ以上的確な表題はないだろう。  
全てを表し尽くしているこの「こころ」という言葉。
読後、私たちはその言葉の重みを味わう。

『五重塔』/ 幸田露伴(1889) 


圧倒的な筆力によって描写されるロマンチシズム。
純粋にして美しいその精神は、三島由紀夫が『金閣寺』で描いたあの狂気と共鳴する。

『雨月物語』/上田秋成(1776) 


 『古事記』・『日本書紀』の時代より、日本文学は、この国の自然、風土、人々の生活とそれらを取り巻く幻想と神秘の世界を描き続けてきた。
 永遠にして崇高たるその幽玄の領域を旅するとき、読者は、そこが物語の世界なのではなく、いま私たちがいる現実であることを知る。

2010年9月23日木曜日

Eternal Melody Ⅱ / YOSHIKI (2005)

 98年以降、沈黙を保ち続けたyoshikiが、X JAPANの再結成までの間に完成品としてリリースした唯一といっていいアルバム。この間、VIOLET UKのデビューなどが囁かれながらも実現せず、彼のソロワークをまとまった形で聴くことが出来るという点で、非常に貴重な作品である。
 X JAPANで発表した楽曲に加え、他のアーティストに提供した楽曲、VIOLET UKのための楽曲、イベントに提供した楽曲、そしてhideに捧げた「Without You」など、クラシック・バラードを基調とした10の楽曲が収録されている。

 このアルバムの真価は、X JAPANという冠を外したyoshikiの音楽に触れられるところにある。もちろん、X JAPANはyoshikiが中心になり楽曲の制作が進められてきたのだが、toshi,hide,pata,heath,taijiといったメンバーと共に創りあげられたものであった。
 それゆえ、この作品ではX JAPANのアルバムとは異なる形で、yoshikiのエネルギーをダイレクトに感じることができる。それは、X JAPANの解散、そして、hideの死という悲劇を体験したyoshikiの魂そのものである。「Without You」のピアノは、どこまでも沈むように悲しみを奏で、嫌にもその傷の深さを想起させる。

へうげもの(3)

まあ座れハゲ
こうなることは薄々わかっておったわ••••••

俺は倅たちを可愛がりすぎた••••••が、 こればかりはどうにも抑えられん
 
これまで数多の人間と係ってきたわ••••••その都度一方的に奪い取り••••••惜しみなく与えてきた••••••

だがハゲ••••••おまえとは「ダール・イ・レゼベール(ギブ・アンド・テイク)」だった

 俺はあらゆる人間とその関係を築きたかったのだがな••••••
 ••••••意味を知っておるか?

 「愛」よ (織田信長)