2012年12月21日金曜日

The End of the Dream / Rouge / LUNA SEA (2012)

10代の頃にロックに魅了されたときに近い衝撃を受けている。
LUNA SEA「The End of the Dream / Rouge」ーいま日本のメジャーなロックバンドでこれほどハイクオリティなサウンドを出せるアーティストはなかなかいない。
ファーストリスニングではThe End of the Dreamの方がキャッチーで印象に残ったが、ライブでRougeを聴いてからは、そのリズムとノイズの虜。このダブルAシングルはまさにLSのポップとアングラの両面をみせてくれる作品。
SUGIZOのギターが唸り吠える。

2012年12月20日木曜日

SHINE / LUNA SEA (1998)

1997年のLUNA SEAの「充電期間」には賛否両論あったと記憶している。96年のアルバム『STYLE』の世界観があまりにも完成されていたために、98年の復活第一弾シングル「STORM」には確かに戸惑いを覚えた。

いわゆる「ポップになってしまった」というのが当時の印象であった。特にRYUICHIは河村隆一として、音楽バラエティーなどに登場するなど、その変化は如実であった。

だが、その後の紆余曲折を経て、REBOOTしたLUNA SEAを前に、当時のことを振り返れば、 その変化の捉え方は、かつてとは異なる。

「STORM」のなかにある「手を伸ばさなきゃあの光さえつかめない」 というフレーズ。当時は、LUNA SEAが「光」という言葉を使うなんて、こんな前向きな歌詞を歌うなんて、と衝撃を受けた。

だが、「STORM」も収録されているアルバム『SHINE』をじっくりと聞いてみると、実は光と影(闇)が混在していることがよく分かる。当時のとあるテレビ番組でRYUICHIが語っていた「影(闇)があるから光がある」という言葉が、当時のLUNA SEAの姿勢をよく言い表していると思う。

それをLUNA SEAの変化という文脈の中に置き換えてみると、「影(闇)のなかにいたからこそ光をもとめた」と言い換えることができようか。

また、『SHINE』には、「光」を求めるだけでなく、「影(闇)」を見つめる強さのようなものも含まれている。(「BROKEN」)

それまでは影(闇)のイメージの強かったLUNA SEAにとって、こうした形で殻を破ることこそが、充電期間の意味であったのだと思う。


2012年9月11日火曜日

「JET SPARK / STARDUST STORY」(『終わらない絆』) 井上"kuma"秀樹(2009)


1999年頃、ワイドショーで一瞬だけ披露されていた音楽
hideを彷彿とさせるそのメロディーは、ずっと耳に残っており、以来そのメロディーを探し求めていた。
それは遂に、X JAPANの再結成というタイミングに併せて、私たちのもとへ届けられた。

hideの愛弟子kuma氏による楽曲「Jet Spark」
hideらしさを忠実に受け継ぎながら、その先へと行こうとする姿勢。
懐かしくも新鮮なサウンド。

2012年8月29日水曜日

LOUD & PEACE / Dragon Ash (2012)

LOUDとPEACEのMIXTURE

Dragon Ashのシングル・アルバムは殆ど持っているにも関わらず、本作を手にとったのは、初回限定版に収録されている「Something in view」と「花言葉」が目当てだったからだ。

「Something 〜」では、Bye Bye surrender daysというフレーズがリフレイン。
「花言葉」では、HIROKIのギターがこの上なくエモい。

2012年8月17日金曜日

SHAPE SHIFTER / SANTANA (2012)


SANTANAの名が冠せられた久しぶりのアルバム
70年代の絶頂期と変わらぬクオリティ
40年もの間 尽きないエモーション

サウンドは、近年のポップなアプローチを巧く消化したものになっており、非常に耳馴染みが良い。

これからはじまるインストゥルメント三部作が、非常に楽しみである。

2012年5月15日火曜日

MIXTURE / Dragon Ash (2010)

突き抜けるようなそのサウンドからDragon Ashがロックバンドであることを再確認させられるアルバム。だが、込められているメッセージは単純ではない。

音楽を始めた初期衝動を思い起こさせ、夢を諦めないことの重要性が、空言ではなく、実際に夢を掴んだ者の説得力と厳しさをもって訴えられる。同時に、それが全てではないことも、また優しさを伴って語られる。そこは勝ち負けの存在しないノーサイドの地平。

ロックスターの虚実。二律背反する価値が混在する複雑なメッセージ。それこそが、『MIXTURE』の示すところなのかもしれない。

FREEDOM / Dragon Ash (2009)


このFREEDOMというアルバムでDragon Ashは
また新たな境地に達したように思われる。

革命を牽引し(Viva la revolution)、武器と鎧を脱ぎ去り(Harvest)、新たなスタイルに挑戦してきた(Rio de emocion , independient)

そして、辿り着いたのは、日常に転がる幸
更に一段と肩の力が抜け、ordinaryをあらわす音楽が
仲間たちと奏でられる(繋がりSUNSET,運命共同体)


とはいえ、本人たちはそんな変化を大して意識してはいないのかもしれない。
だが、その自然体の変化が、Dragon Ashらしさなのである。

ザ・フライ(1986,アメリカ)

ハエと一体化したことによって、彼は「異常」になったのではなく、すでにその人間の姿のうちに「狂気」が潜んでいた。

自らの発明を世に知らしめたいという天才の願望の裏側にあるのは、自分のことを理解してもらいたいという凡才の願望。なりふり構わず、願望を盲信していくことで、その相貌は「醜く」なっていく。

暴走していくハエ人間は、ラストでは目も当てられないような姿を曝け出す。それはまさに欲望に駆られ暴走していく人間の行き着く先の姿をあらわしている。

誤ちを悟ったとき、ハエ男は、醜い自分を葬ってほしいと希う。その姿は、もはや「醜さ」を通り越し、「どうしてこんなことに」という後悔とともに、切なさ・やるせなさという類の感情を惹き起こす。

グロテスクなホラー映画といったイメージとは異なり、実際にこの映画を見ることで覚える感情は、非常に複雑なものである。

2012年5月13日日曜日

薔薇と緑 / 北野井子 produced by YOSHIKI (1997)


YOSHIKIは、Violet UK の構想を「危ないくらいの殺気立ったノイズと凄く美しいメロディーを混合した音楽」であり、「すごい世界が表現できた」と語っている。しかしながら、それが完成品として流通している例は数少ない。

それは、完璧なものを追求する徹底的な美意識と、X JAPANの解散とHIDEの逝去により受けた精神的喪失が、Violet UK の作品が世に出る機会を奪ってしまったからだと考えられよう。


だが実は、X JAPANの解散とHIDEの逝去の狭間、Xの先の新たな次元に進もうとしていたわずかな期間に、彼はあるアーティストのプロデュースを行っている。

そこで表現されているのは、デジタルなビートと耽美な旋律が融合する音楽、まさに彼がViolet UK でやろうとしていた音楽が凝縮されている。

私がこの音楽を聴いたのは、発売後10年以上経ってから、Violet UKの作品も幾つか公表された後であった。だが、むしろ、10年以上という時間を経て、振り返って聴かなかったとしたら、この作品の魅力には気付かなかったかもしれない。

年月を経て、ようやく彼の音楽の先駆性にキャッチアップしたとともに、廃れることのない永遠のメロディに改めて心奪われた。

YOSHIKIの見据えていたは射程は計り知れない。

2012年5月11日金曜日

トゥルーマンショー(1996,アメリカ)


幸福の島を離れ、未知なる世界に足を踏み入れる。

強い意志と持ち前の楽観性が、彼の勇気を奮い立たす。

コミカルでありながら、この作品が描き出すのは、

この現実の世界そのものの姿である。

いざ冒険の旅へ

2012年3月14日水曜日

アマデウス(1984)


アントニオ・サリエリの眼に映ったモーツァルトの世界。
「レクイエム」に秘められた謎の一端が解き明かされる。

2012年2月14日火曜日

シャッターアイランド (アメリカ,2010)


マーラー「ピアノ四重奏断章 イ短調」
不気味な印象をもたらすストリングスの調べ。

2012年1月28日土曜日

BEFORE THE SIREN / Ra:in (2006)

 
 X JAPANのギタリストpataのプロジェクト。これまで、ソロ活動としては、pata名義でJeff BeckやZeppelinのようなブルース基調のロック、P.A.FではGuns'n'Rosesを彷彿とさせるハードロック、Dope HEADzはインダストリアルな音楽を創りだしてきた。
 昔日のハードロック志向ではなく、骨太でありながら、先鋭で斬新なスタイルは、その存在を唯一無二のものにしている。ジャンルオーバーなサウンドは、ジャミングでクール!