2012年5月15日火曜日

MIXTURE / Dragon Ash (2010)

突き抜けるようなそのサウンドからDragon Ashがロックバンドであることを再確認させられるアルバム。だが、込められているメッセージは単純ではない。

音楽を始めた初期衝動を思い起こさせ、夢を諦めないことの重要性が、空言ではなく、実際に夢を掴んだ者の説得力と厳しさをもって訴えられる。同時に、それが全てではないことも、また優しさを伴って語られる。そこは勝ち負けの存在しないノーサイドの地平。

ロックスターの虚実。二律背反する価値が混在する複雑なメッセージ。それこそが、『MIXTURE』の示すところなのかもしれない。

FREEDOM / Dragon Ash (2009)


このFREEDOMというアルバムでDragon Ashは
また新たな境地に達したように思われる。

革命を牽引し(Viva la revolution)、武器と鎧を脱ぎ去り(Harvest)、新たなスタイルに挑戦してきた(Rio de emocion , independient)

そして、辿り着いたのは、日常に転がる幸
更に一段と肩の力が抜け、ordinaryをあらわす音楽が
仲間たちと奏でられる(繋がりSUNSET,運命共同体)


とはいえ、本人たちはそんな変化を大して意識してはいないのかもしれない。
だが、その自然体の変化が、Dragon Ashらしさなのである。

ザ・フライ(1986,アメリカ)

ハエと一体化したことによって、彼は「異常」になったのではなく、すでにその人間の姿のうちに「狂気」が潜んでいた。

自らの発明を世に知らしめたいという天才の願望の裏側にあるのは、自分のことを理解してもらいたいという凡才の願望。なりふり構わず、願望を盲信していくことで、その相貌は「醜く」なっていく。

暴走していくハエ人間は、ラストでは目も当てられないような姿を曝け出す。それはまさに欲望に駆られ暴走していく人間の行き着く先の姿をあらわしている。

誤ちを悟ったとき、ハエ男は、醜い自分を葬ってほしいと希う。その姿は、もはや「醜さ」を通り越し、「どうしてこんなことに」という後悔とともに、切なさ・やるせなさという類の感情を惹き起こす。

グロテスクなホラー映画といったイメージとは異なり、実際にこの映画を見ることで覚える感情は、非常に複雑なものである。

2012年5月13日日曜日

薔薇と緑 / 北野井子 produced by YOSHIKI (1997)


YOSHIKIは、Violet UK の構想を「危ないくらいの殺気立ったノイズと凄く美しいメロディーを混合した音楽」であり、「すごい世界が表現できた」と語っている。しかしながら、それが完成品として流通している例は数少ない。

それは、完璧なものを追求する徹底的な美意識と、X JAPANの解散とHIDEの逝去により受けた精神的喪失が、Violet UK の作品が世に出る機会を奪ってしまったからだと考えられよう。


だが実は、X JAPANの解散とHIDEの逝去の狭間、Xの先の新たな次元に進もうとしていたわずかな期間に、彼はあるアーティストのプロデュースを行っている。

そこで表現されているのは、デジタルなビートと耽美な旋律が融合する音楽、まさに彼がViolet UK でやろうとしていた音楽が凝縮されている。

私がこの音楽を聴いたのは、発売後10年以上経ってから、Violet UKの作品も幾つか公表された後であった。だが、むしろ、10年以上という時間を経て、振り返って聴かなかったとしたら、この作品の魅力には気付かなかったかもしれない。

年月を経て、ようやく彼の音楽の先駆性にキャッチアップしたとともに、廃れることのない永遠のメロディに改めて心奪われた。

YOSHIKIの見据えていたは射程は計り知れない。

2012年5月11日金曜日

トゥルーマンショー(1996,アメリカ)


幸福の島を離れ、未知なる世界に足を踏み入れる。

強い意志と持ち前の楽観性が、彼の勇気を奮い立たす。

コミカルでありながら、この作品が描き出すのは、

この現実の世界そのものの姿である。

いざ冒険の旅へ