2010年9月29日水曜日

『世界は密室でできている』/ 舞城王太郎(2001) 


 純文学界の風雲児。
 ライトノベルを蹴散らせ!

『海辺のカフカ』/ 村上春樹(2002) 


 最初に読んだ村上作品は『ノルウェイの森』だったが、そのときの感想は、悲壮な物語には敗北の雰囲気が漂っており、ペシミスティックな世界観には辟易という言葉しか当てはまらないというものだった。
 それゆえ、彼の著作を忌避した一時期があったが、なるほど、確かに時代の風潮を鋭く捉え、多くの人の共感しうる普遍的世界観を構築していることは認めざるを得ない。
 

『キッチン/ムーンライトシャドウ』/ 吉本ばなな(1989)


この物語が呼び起こす不思議な感覚。
それは、大切な人を失ったあの喪失感か、
それとも、二度と逢えないはずの人と再会を果たすときに覚える悦びか。
心の襞を震わす物語。涙の海に人魚が消えていく。

『壁』/ 安部公房(1951) 


破綻していながら調和を保った世界。
それは混沌とした現実社会そのものである。

『斜陽』/ 太宰治(1947)


 小説を読んで嘔吐感を覚えたことなどなかった。『斜陽』を手にするまでは。
 目を背けたくなるような醜き人間の姿。生暖かいこの温室が偽りの桃源郷でしかないと突きつけられた瞬間だった。   
 だが、闇の部分を徹底して描くその眼差しがあってこそ、『走れメロス』のように、人間の素晴らしさを記述することが出来るのだろう。そうであると信じている。

『三つの宝』/ 芥川竜之介(1922)

芥川の作品は全部読んだ。
寓話めいた話が多い彼の作品の中でも、この『三つの宝』ほど、彼が追い求めていた理想が究極に詰め込まれた作品はないだろう。

「我我はもう目がさめた以上、御伽噺の中の国には、住んでゐる訣には行きません。我我の前には霧の奥から、もつと広い世界が浮んで来ます。我我はこの薔薇と噴水との世界から、一しよにその世界へ出て行きませう。」

『舞姫』/ 森鴎外(1890) 


近代社会の成立は、私たちに自由と責任を天秤にかける運命を課した。
人生における苦悩、本先品には鴎外が味わったその煩悶が描かれている。
時代の最先端を生きた鴎外の感性は、最期に「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス 」と残した。

『こころ』/夏目漱石(1914)


この小説に、これ以上的確な表題はないだろう。  
全てを表し尽くしているこの「こころ」という言葉。
読後、私たちはその言葉の重みを味わう。

『五重塔』/ 幸田露伴(1889) 


圧倒的な筆力によって描写されるロマンチシズム。
純粋にして美しいその精神は、三島由紀夫が『金閣寺』で描いたあの狂気と共鳴する。

『雨月物語』/上田秋成(1776) 


 『古事記』・『日本書紀』の時代より、日本文学は、この国の自然、風土、人々の生活とそれらを取り巻く幻想と神秘の世界を描き続けてきた。
 永遠にして崇高たるその幽玄の領域を旅するとき、読者は、そこが物語の世界なのではなく、いま私たちがいる現実であることを知る。

2010年9月23日木曜日

Eternal Melody Ⅱ / YOSHIKI (2005)

 98年以降、沈黙を保ち続けたyoshikiが、X JAPANの再結成までの間に完成品としてリリースした唯一といっていいアルバム。この間、VIOLET UKのデビューなどが囁かれながらも実現せず、彼のソロワークをまとまった形で聴くことが出来るという点で、非常に貴重な作品である。
 X JAPANで発表した楽曲に加え、他のアーティストに提供した楽曲、VIOLET UKのための楽曲、イベントに提供した楽曲、そしてhideに捧げた「Without You」など、クラシック・バラードを基調とした10の楽曲が収録されている。

 このアルバムの真価は、X JAPANという冠を外したyoshikiの音楽に触れられるところにある。もちろん、X JAPANはyoshikiが中心になり楽曲の制作が進められてきたのだが、toshi,hide,pata,heath,taijiといったメンバーと共に創りあげられたものであった。
 それゆえ、この作品ではX JAPANのアルバムとは異なる形で、yoshikiのエネルギーをダイレクトに感じることができる。それは、X JAPANの解散、そして、hideの死という悲劇を体験したyoshikiの魂そのものである。「Without You」のピアノは、どこまでも沈むように悲しみを奏で、嫌にもその傷の深さを想起させる。

へうげもの(3)

まあ座れハゲ
こうなることは薄々わかっておったわ••••••

俺は倅たちを可愛がりすぎた••••••が、 こればかりはどうにも抑えられん
 
これまで数多の人間と係ってきたわ••••••その都度一方的に奪い取り••••••惜しみなく与えてきた••••••

だがハゲ••••••おまえとは「ダール・イ・レゼベール(ギブ・アンド・テイク)」だった

 俺はあらゆる人間とその関係を築きたかったのだがな••••••
 ••••••意味を知っておるか?

 「愛」よ (織田信長)
  

LUNACY / LUNA SEA (2000)


 LUNA SEAとは、「他のバンドさんの前に、五人がライバル」(J)と自負するほどに、一人一人の個性が強烈なバンドである。作曲一つをとってみても、それぞれがヒット曲を誕生させられるほど、その能力も高い。
 96年には、オリコン1位、東京ドームライブなど、バンドとしてのキャリアを極め、まさに絶頂の状態にあった。しかし、彼らは、貪欲にも、更なる高見を目指すために、1年間それぞれの成長のための充電期間に突入する。

 そして、モンスターは進化した。本作は、LUNA SEAが、いままでのエッセンスを保ちながらも、多様な表現を獲得し、新しい次元に辿り着いたことを証明した傑作である。楽曲の中で繰り返される「輝き」 という言葉が本当に相応しいアルバムだ。メンバー自身、「ラストアルバムになってもいいくらい、やりきった感がある」と述べているように、彼らはこのアルバムを創りあげたことで、 LUNA SEAで表現できる最高のものを完成させたということを自覚していた。
 そして、このアルバムを最期に、LUNA SEAは終幕を迎える。それは、5人のオリジナリティの高まりが臨界点に達した結果の、やむを得ない選択だったのかもしれない。
 だが、LUNA SEAが新たな次元にたどり着いた時に放たれた一瞬の輝き、それが色褪せることはいつまでもないだろう。

Endtroducing... / DJ Shadow (1996)

 サンプリングという技術が一つの音楽を構成するまでに進化するなどと、誰が予測し得たであろうか。
 DJ Shadowの「Endtroducing...」は世界初の完全なるサンプリングアルバムという実験的作品であり、その手法を確立させた記念碑的作品だ。埃まみれの50万枚以上の中古レコードの山から選び出された楽曲群。それらは、DJ Shadowのマジックにより見事に再構成され、新たな装いの元で「再生」される。
 それは人類が生み出してきた無数の音楽に対するリスペクトで彩られている。

2010年9月22日水曜日

The Godfather (1972,アメリカ)

 イタリアに出自を持ち、アメリカの裏社会を支配するコルレオーネ一家の物語。
 
 ゴッドファーザーは、その組織暴力で、伝統と秩序を保守する。

「なぜ最初から、わしの所へ来なかった?」

 それは富と暴力を操りファミリーが築き上げてきた、阿漕にして格調高い「血」の歴史なのである。

A Love Supreme / John Coltrane (1964)

 あらゆるジャンルの音楽を、選り好みすることなく、その良さを探求すべく聴くことに努めているが、長くJAZZの分野においては、琴線に触れる作品に出会えない日々が続いていた。
 そんな状況を一挙に崩してくれたのが、ジョン・コルトレーンの『A Love Supreme』だった。このアルバムに巡り会ったとき、音楽の中に魂のこもった演奏が存在することを改めて確信させられた。
 正直に言って、この作品の素晴らしさを言葉にできる程の力をまだ私は身につけていない。いまはただ、もう少しだけこの至高の音楽に浸らせておいてほしい。

2010年9月20日月曜日

『風の谷のナウシカ』

 スタジオジブリの映画作品とは異なり、この「原作」の知名度があまりにも低いことは驚きを持って受け止めていい事実だ。しかし、それは「原作」の長大かつ複雑なストーリー、霊妙な世界観、そして重厚な哲学に由るものとして、当然至極のことと理解せねばならない。
 多くの人の指摘通り、「映画版」であらわされているのは「原作」の僅か2/7の物語でしかない。だが、内容の圧縮化による結果か否かはさておき、「映画版」と「原作」では、登場人物の関係性や物語の向かっていく先など、その内容は全く異なるものであると言わざるを得ない。況やそこから受け取るメッセージをや、だ。

 「ナウシカ」と環境問題の関係について語られることがままあるが、そのことについて触れる際、「環境」を意味するエコロジーという言葉が、同時 に「生態」という意味を有していることを考え合わせると、「原作」においては、まさに「生態」の次元から物語が展開されているということに自ずと気付く。 
 人類の歴史、腐海の謎、生命の神秘、超越的存在、そして王蟲のレゾンデートル…。殆どの人が、まず「映画版」を観てから「原作」のことを知るのであろうが、「映画版」で明らかにされていなかった事物とその因果には舌を巻くだろう。
 だが、相も変わらず「原作」は、むしろ、より一層深いレベルで、生の根底から人間と世界を描き、その行く末を見据える視座を提供してくれるものであり、深い闇の世界を描きながらも、読後は不思議な爽快感を与えてくれる。そこで私たちは、それが「風の谷」からナウシカが運んできた「風」であることを感じるのである。

『茄子 スーツケースの渡り鳥』(2007)


山川草木の豊かな日本でのレース。
霊的で静穏たる風景の中で選手たちはそれぞれ孤独と友情を覚えながら走る。
その様は、競走というべきか共走というべきか。

激しく降り注ぐ雨の中、選手達の興奮はいっそう高まり、嵐が到来するときに感じるあの胸の高まりを想起させる。

『茄子 アンダルシアの夏』(2003)


このレースの最中、ペペ・ベネンヘリは二つの景色を疾走する。
一つは、乾いた大地と透き通った空。
もう一つは、主人公が捨てたスペインの街と在りし日々。

「俺は遠くへいきたいんだ」

二つの景色が交差する道を、ペペ・ベネンヘリは疾走する。

2010年9月18日土曜日

Art of life live / X JAPAN (1998)

 人生は誕生によって始まり、死によって終わるものだ。しかしながら、人の一生にはその過程における、幾度の死、復活、誕生(再生)がある。生と死というモチーフ—それは単純な二項対立で語られるべきものではない。
 それゆえ、「Art of life」、(「人生の芸術」とでも訳そうか)を表現するためには、バラードとロック、静と動という対立軸を超えた独自の音楽スタイルが求められていた。 これこそが、X JAPAN 『Art of life』の真髄であり、彼らであればこそなしえた偉業である。


 本作に収録されているライブは、筆舌に尽くしがたい迫力をもっている。それはこのアルバムに収録されている演奏に充ち満ちた狂気によるものだ。YOSHIKIのピアノとドラムから感じられるのはまさに狂気(だが、本来それをこのように一言で言い表すことはできない) であり、それが生と死の躍動をリアルに感じさせるのである。
 X JAPANの歴史の中では、このアルバムは当初『Jealousy』とともに2枚組として発売されるはずであったのだが、YOSHIKIによれば、『Art of life』は『Jealousy』との共存を拒んだという。まるでこの曲自身が生命を持っているかのように形容されるのは、この曲がYOSHIKIの人生の集大成的作品であり、まさに生命を注ぎ込んだ作品だからであろう。ライブ版でそのエネルギーを体感せよ。

HARVEST / Dragon Ash (2003)

 日本の音楽界に革命をもたらしたDragon Ash
 それは、アンダーグラウンドの文化でしかなかったヒップホップの存在を一気にオーバーグラウンドにのしあげた有言実行のバンドであり、その頭目・降谷建志はまさに時代の牽引者であった。
 そんな彼が挫折を経験し、自分を見つめ直す過程で紡ぎだされた作品が『Harvest』だ。心象風景を描き出すリリック、才能あふれるリズミング・ライミング、そして根底を貫くロックンロール。
 纏っていた鎧を脱ぎ捨て、地肉から造り出した音楽は、革命後の新しい時代が到来したことを告げていた。

ベスト+裏ベスト+未発表曲集 / Cocco (2001)


「中島みゆき・ミーツ・二ルヴァーナ」(hide)

 そのサウンドはまるで海のようだ。
 荒々しい波が訪れたかと思えば、心地よく漂わせてくれる凪が訪れる。

 歌声とそこに込められた言葉は、光を浴びて七色に変化するが、輝きを発した後、泡のように儚く消える。

深海 / Mr.Children (1996)

 メガヒットを連発し、一挙に日本のミュージックシーンの頂点に上り詰めた桜井の、スターであるがゆえの煩悶がさらけだされている。その煩悶を、「足掻き」 と例えるならば、なるほど、まさにアルバムでコンセプトとされている「シーラカンス」という擬えは、よくその「足掻き」を象徴しているように思われる。

 シーラカンス
 これから君は何処へ進化むんだい
 シーラカンス
 これから君は何処へ向かうんだい

黒船 / サディスティック・ミカ・バンド (1974)

 「サディスティック・ミカ・バンド」という名を聞いたことがあっても、その音楽を実際に聴いたことがある者は、ことに現代においては決して多くはないだろう。それは私たちにとって単なる伝説上の存在でしかない。
 だが、このアルバムを聴けば、「サディスティック・ミカ・バンド」というグループが歴史に名を残すことになった所以を体感することになる。加藤和彦、高橋幸宏をはじめ、日本の音楽界の重鎮が若かりし頃、自らのそして日本の音楽の方向性を模索したときに発揮した創造性がここには詰まっている。とりわけ高中正義のフージョンギターは突き抜けている。

風街ろまん / はっぴいえんど (1971)

 80年代半ばに生まれ、90年代~2000年代初頭に青春期を過ごした私にとって、70年代の空気というのは想像に難いものであるが、このアルバムを聴 く限り、その時代が日本のロックにとって非常に重要な時期であり、いまの時代にまで連なる音楽の土台を築き上げたのだということは認めざるを得ない。
 どこかで聞いたことがあるようでありながら、他の何とも同じではないのは、これがまさに日本のロックの「オリジナル」であるからだろう。

GOEMON (2009)


—歴史ブームの最中

 信長、秀吉、家康らの活躍した激動の時代を、独特の時代解釈と魅惑の映像世界で壮麗に描いた刺激的作品。
 時代に翻弄されながらも自らを貫こうとする人々のさまは力強く、観る者に勇気を与えてくれる。

「踊らされるな・・・踊れぃ!!」

冷静と情熱のあいだ (2002)

 イタリアと東京。この二つの都市は、色あせぬ理想と足下の現実を象徴しているようにも思える。永遠といま、世界はその二つをつなぐ過程のなかで起きるドラマだ。
 この作品は、その普遍的な物語、耽美な音楽、優美な映像、どれをとっても妙なる出来に仕上がっている。
 俳優人の演技も印象的だ。親子の確執や将来への不安のなかでもがく順正(竹内豊)は、青々しい幼さを漂わせながら、そのひた向きさを強く訴える。また、母語ではない日本語であるがゆえ、必死に思いを伝えようとするアオイ(ケリー・チャン)の姿は、哀切極まりない。
 すべてが一体となった総合美、これぞ映画。

ウォーターボーイズ (2002)



いいじゃねえか、若ぇの!

部活に恋に有り余るエネルギーを注ぎ込んだ青春時代

汗臭くも美しいあの熱狂が見事に凝縮されている。

居酒屋兆治 (1983)

—この映画にヒーローは登場しない。

 存在するのは、とある町、とある居酒屋の店主と彼をとりまく人間模様。それは、何でもないような町の何でもないような人間たちの生活。

 華々しい舞台でライトを浴びることのなかった人達。だが、その陰の中にこそ,人の共感しうるドラマがある。

 物語のキーマンを演じたのは高倉健。彼の主演作品を観たのは初めてだったが、その魅力に触れた気がした。

仁義なき戦い (1973)


 一般に任侠映画といえば、抗争の中で戦う男たちを雄々しく描くものと思われがちであるが、本作で出てくる極道にみられるのは、そのような勇ましき姿ではない。
 「仁義なき」という言葉があらわしているように、義理と人情で結びついていた青年たちの情熱が、次第に金や権力などにとって代わられ、廃れていく過程を描写している点こそ本作の主眼であり、そこには決して暴力や権力を賛美しないというメッセージすら滲んでいる。
 菅原文太演じる広能、ただ彼だけがひとり筋を通した男であった。

100th Window / MASSIVE ATTACK (2003)


 音の粒がすごくしっかりして弾力があり、奥行きがあるサウンドが、体に伝わる響きを非常に豊かなものにしている。
 意味など要らない。この心地良ささえあれば。

Messages / Bluestone (2009)


ひんやりと流れる水流のようなトラックに、美しい女性ボーカルが漂う。
心地良いサウンドクリエイトが心を鎮めてくれる。

in a safe place / THE ALBUM LEAF (2004)


繊細で、穏やかで、なによりも優しさに溢れた音楽。
包み込まれたかと思うと、身体全体に染み入ってくる。

Selected Ambient Works Volume II / Aphex Twin (1994)


 喧噪を離れ、静寂に浸る悦び。
 さあ、深遠なる幽玄の世界へ。

Dummy / Portishead (1994)


 重く暗いビートと弱々しく儚げなヴォーカルが独特のメランコリックなムードを造り出す。
 病的なまでにネガティブを追求したリリックは健全な精神にとっては有害でしかない。
 だが、それでもポーティスヘッドの音楽に惹かれてしまうのは、その中毒性からだろうか。
 毒牙が心の闇に侵入してくる。

2010年9月17日金曜日

『インセプション』(2010,アメリカ)

世界は重層的である。
人々の思惑は交差し、ときにその人生は重なり合う。

自らの目的を果たすためにクルーが共有したのは、夢から人間の意識に潜入し、ある考えを植え付けるという任務。

仕事を終え、降機するシーンにおいてクルーが散らばっていくさまは、再びそれぞれの独立した人生が始まることを象徴している。

だが、再び交わることのない人生のなかでも、彼らが同じの任務の中で共有した経験は、永く生き続けるのである。

『神曲』/ ダンテ・アリギエーリ

  
 「人生の道の半ばで正道を踏みはずした私が
 目をさました時は暗い森の中にいた―」

『百年の孤独』/ ガブリエル・ガルシア=マルケス


 地上から消え去っていく民族の歴史
 読者を混沌にさえ陥れる物語
 その射程は計り知れない

『オイディプス王』/ ソポクレス

 
 ギリシャ悲劇の最高峰
 かくも往古から人間は運命に翻弄され
 それと戦ってきたのか

『モンテ・クリスト伯』/ アレクサンドル・デュマ

 
 無実の罪による服役から脱獄を成し遂げ
 巨万の富を手にし復讐を果たしていく物語
 これこそ執念というものだろう

『阿Q正伝』/ 魯迅


「人間を食べたことのない子供がまだいるかもしれない。子供を救え!」

『誰がために鐘は鳴る』/ ヘミングウェイ


「これで自分の信じるもののために一年間戦ったことになる。もしここで勝利を獲得するなら、われわれは、いたるところで勝利を得るだろう。この世界は美しいところであり、そのために戦うに値するものであり、そしておれは、この世界を去ることを心からいやだと思う」

『老人と海』/ ヘミングウェイ


「この男に関するかぎり、なにもかも古かった。ただ眼だけがちがう。それは海とおなじ色をたたえ、不屈な生気をみなぎらせていた」

『アンナ・カレーニナ』/ トルストイ


「あの百姓が何かを唱えながら、鉄を加工していた」
(第7部29章)

『悪霊』/ ドストエフスキー


「人間は、だれであれ、偉大なる思想の現れであるものの前にひれ伏す必要があるのです。どんな愚かな人間にも、なんらかの偉大なものが必要です」
(新潮文 庫版 『悪霊 下』 p.616 ステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキーの言)

『カラマーゾフの兄弟』/ ドストエフスキー


「永遠に、死ぬまで、こうして手をとりあって生きていきましょう! カラマーゾフ万歳!」

2010年9月14日火曜日

『イル・ポスティーノ』(1994,イタリア)

マリオとパブロの出会い
それは闇夜にもたらされた銀色の光
街人が歩む足もとを照らし出す

パブロがマリオに与えた言葉 
それは小さなボートを操るオール
舟人をして感情の川を進ましめる

マリオとパブロの別れ 
それは巣立ちを迎えたカワセミの羽ばたき
美しい姿と鳴き声が人々の前に姿を現す

                 隠喩に満ちた素晴らしき世界
                 白い雲は青空のキャンバスの上で自由に飛遊する

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008,アメリカ)

 これは、老人として生まれ、年を取ると共に若返っていくという人生を辿ったベンジャミン・バトンの物語である。若返りという数奇な命運のもと、様々な人との出会いが、彼にとって経年とは別の「成長」をもたらした。
 彼と彼を取り巻く人々の物語は、変わりゆくものの中で、儚く終わるものの煌めき、永遠に続くものの純粋さ、変えていこうとする意志の逞しさをみせてくれる。
 人生の一代記は、デヴィット・フィンチャーの映像美により、いっそう印象的なシーンとして描き出され、観た者の心をとらえて離さない。

http://www.youtube.com/watch?v=o8OJrJjHFJo
(The Curious Case of Benjamin Button - Sunrise on Lake Pontchartrain)

『ラストデイズ』 (2005,アメリカ)

 死から 誕生までの 長く孤独な旅
 これは、カート・コバーンの死にインスピレーションを受けたガス・ヴァン・サントの作品だ。ブレイクと呼ばれる男の最期を描いている。
 精神病院を抜け出し戻ってきた住まいで待っていたのは、セックス・ドラッグ・ロックンロールに溺れる悪友たち。ブレイクのもとを訪れるのは、商売仲間、広告会社、宗教やヤクの勧誘ばかり。この世界のどこにいても、自分は荒廃させられていく。
 「やってられるか」
 そんなブレイクの叫びは、銃声として鳴り響き、彼は自らの命を絶つことで荒んだ世界に別れを告げた。

「実が熟して 腐ってく 似てるよ 生きることに」 (Death to Birth by Pagoda)

 最期の歌は、誰に聴かせるでもない、ブレイクの心境の吐露であった。

『12モンキーズ』(1995,アメリカ)


精神の動揺と時空の歪み。
狂っているのは俺か、世界か?